ルイス・キャロルのパラドックス

本日はルイス・キャロルパラドックスについて紹介します。

これは、「亀がアキレスに言ったこと」という題の対話篇の内容のことを指します。

 

青空文庫から読めます。

www.aozora.gr.jp

 

パラドックスの概要

(原文の方が分かりやすいかもしれない。)

 

2つのステップとその帰結から成る、ちょっとした議論を取り上げる。

(A)ソクラテスは、人である。
(B)人は、いずれ死ぬ。
(Z)ソクラテスは、いずれ死ぬ。

 

AとBから、Zが帰結されるということについて考える。

場合によっては、前提であるAやBを認めないがために、Zが真であると認めないという人もいるだろう。たとえば、「人は死なないということもあり得るのではないか」といった主張の持ち主である。

だが一方で、亀は、AとBが真であることは認めるが、「AとBが真ならば、Zが真である」という仮言命題を認めないために、Zが真であると認めないという人もあり得るだろうと言う。

 

つまり、亀は次の命題Cを認めない可能性を言っている。

(C)AとBが真ならば、Zは真でなければならない。

 

亀はアキレスに言った。

  • その面倒な人間を演じてみるので、AとBからZが帰結されることを認めさせてみてほしい
  • 亀はノートに書き加えてくれれば、その命題が真であると認めるから

と。

 

アキレスは命題Cを書き加える。すると、

(A)ソクラテスは、人である。
(B)人は、いずれ死ぬ。
(C)AとBが真ならば、Zは真でなければならない。
(Z)ソクラテスは、いずれ死ぬ。

となる。

 

さて、しかし今度は、「『AとBとCが真ならば、Zが真である』という仮言命題を認めないとしたら?」と亀は言う。それもアキレスはノートに書き加える。

(A)ソクラテスは、人である。
(B)人は、いずれ死ぬ。
(C)AとBが真ならば、Zは真でなければならない。
(D)AとBとCが真ならば、Zは真でなければならない。
(Z)ソクラテスは、いずれ死ぬ。

 

すると、今度は……、という風に、永遠に続いてしまう。まるで、「アキレスと亀」のパラドックスのように……。

 

現実の論理の場合

上の話で出てきた仮言命題というのは、皆さんが普段無意識に使っている古典命題論理では、推論規則の一つである三段論法に当たります。

  • XかつX→Yならば、Yである。(もしくは、X→YかつY→Zならば、Zである。)

XやY, Zには任意の命題が入るのですが、興味深いのは、この三段論法自体が一つの命題として表せられるということです。

 

ある命題p, qを使って、パラドックスの状況を再現してみます。

(A)p
(B)p→q
(C)pかつp→qならば、qである
(Z)q

このとき、亀は「AとBとCを認めても、まだZを認めないかもしれない」と言いました。

 

Cを認めているのだから、AとBを認めてZを認めないのはおかしいだろ、と考える人がほとんどだと思います。

しかし、構造上は初めと同じ形になっているのです。次の表記を見てください。

(A')pかつp→q(AかつB)
(B')pかつp→qならば、qである(AかつBならば、Z)
(Z )q

 

「→」をならばと読みかえると、より対応関係が明確になります。*1

亀の言う可能性ではどうやら、認めた「ならば」のルールを実際に使うことができないようです。

 

変数を使ったらどうか

私たちはよく、変数を使って、無限個のものをまとめて定義します。変数を使えば、亀の屁理屈を回避して、亀に三段論法を認めてもらえるのでしょうか?

(A)p
(B)p→q
(C'')任意の命題X,Yについて、XかつX→Yならば、Y
(Z)q

 

このとき、

  • 亀は、AかつBを認めています。
  • 亀は、C''を認めているため、「AかつBならば、q」であることを認めています。
  • 亀は、C''を認めているため、「『AかつB』かつ『AかつBならば、q』ならば、q」であることを認めています。
  • ……(以下同様)

 

亀は「条件ならばq」を認めますが、その条件を認めていても、「ならば」を解釈しません。亀はやはり「AとBとC''は認めるが、Zは認めない」と言えます。矛盾が起きないからです。

 

なんか、数学的帰納法って感じで面白いですね。

 

そもそも、AかつBすら認めない

そもそも、これまで暗黙的に、亀は「AかつBを認めている」としてきましたが、これさえ怪しくなってきます。

なぜなら、「Aを認めていて、かつBを認めているならば、AかつBを認めている」という仮言命題を使っているとも考えることができるからです。

 

古典命題論理にて

私たちが普段無意識に使っている論理である、古典命題論理でもう少し論理の流れを見てみます。

 

状況を再掲します。

(A)p
(B)p→q
(C)pかつp→qならば、qである
(Z)q

 

私たちは、Cを認めたのだから、AとBからZだと言えるはずだと考えるますが、次が同値です。

  •  C \rightarrow (A \land B \rightarrow Z)
  •  A \land B \land C \rightarrow Z

このCの部分を中身に書き換えると面白くなります。

  •  (A \land B \rightarrow Z) \rightarrow (A \land B \rightarrow Z)
  •  A \land B \land (A \land B \rightarrow Z) \rightarrow Z

 

亀は、後者を認めるとは限らないと言いますが、それは前者と同値です。さすがに前者は認めてくれそうです。

ですが、亀は仮言命題を認めない可能性があるのだから、前者と後者の同値関係自体を認めない可能性があるでしょう。同値関係は「ならば」の関係ですから。

一応、古典命題論理は完全なので、真理値の組み合わせでトートロジーであることを示せますが、これで納得するなら、最初の時点で納得させられたはずです。

 

公理と推論規則の違い

少し話は変わりますが、ルイス・キャロルパラドックスは、公理と推論規則の違いを示唆する題材としても見ることができます。

 

論理のことを学び始めた人の中には、公理と推論規則の違いに合点がいかないという人がよくいる気がします。

三段論法を、 A \land (A \rightarrow B) \rightarrow Bのような公理として表現してはいけないのでしょうか?

 

私としては、公理と推論規則の関係は、数と関数の関係のようなものだと考えています。

  1. 公理は命題や論理式の一つで、推論規則は、命題や論理式の間の関係です。自然数と「+」「×」の演算子のようなものです。
  2. 「推論規則」の名の通り、推論=推理のことを表します。要するに、新しい発見のプロセスです。三段論法は新しいものを生み出しているって感じがあるよね?
  3. 推論規則という関係を用いることで、「証明」を定義できます。推論規則がなければ、単なる事実を羅列になります。そうではなく、「証明」を含めた論理を表現したいので、「推論」を定義し表現しています。

 

論理のキモ

話を戻して、亀は、「ならば」(仮言命題)を認めない可能性を示してきました。

要するに、推論を一切認めないということなので、それはもはや論理として成り立っていません。

では、亀とアキレスがやっていたことは何だったのかというのは、推論自体も論理であり、それが入れ子になっているということです。

 

原因の無限後退の話でもあります。

  • 論理を語るための論理
  • その論理を語るための論理
  • ……

どこかで無条件にその論理を認めてあげないといけないということです。

 

結論

  • 論理とは、いくつかの命題の関係を扱う活動である。
  • 命題の間の関係性を認めないと、論理として成立しない
  • 亀はあたかも、ノートに書けば認めるようにしているが、命題間の関係を認めないため、使うことができない

一旦の結論: 論理は、命題間の関係を語ることなので、何かしら関係を認めないと、論理として始まらない。納得とは論理で行うことだから、亀を納得させられないのは当然である。

 

もちろんこのパラドックスには色んな解釈があると思います。皆さんも考えてみてください。

 

推論規則自体が論理という奇妙さ

それにしても、論理を語るために論理が必要というのは、興味深いですよね。こういうの好きです。

 

科学はすべて、論理の上に成り立っているとしたら、論理を語るためには論理が必要、ということです。

科学が世界の記述なら、論理が世界の記述で、論理は世界の一部で、という風に、現実でも、論理はどこからやってきたか不明な存在です。

因果性や時間といった、物理世界が論理の基礎になっているように見えますが、物理世界を記述するのだって、論理がなくてはできません。

まだまだ論理学には、発展の余地があるようです。

 

関連メモ

  • 論理を可能にしている概念は何だろうか。今の論理を形作った要素は何か。
    • 変数の利用(区別、代入)
    • 記号列の操作(計算)
    • 言語解釈
  • すべての文字列(任意の記号の有限列)が論理式となる体系は構成できるか。論理式と自然数が一対一対応するような。

 

*1:両者のならばは別物だという主張もありますが、亀の無限のやり取りが行われるのには変わりありません